2010年11月8日月曜日

モルチッチ2


先日のモルチッチのお話、もう少しおつきあいください。写真はちょっとぼけてますが、少々違うバージョンも出ております。 
17、18世紀、当時、オリエントから海洋大国ベネチア経由でヨーロッパに持ち込まれた、香辛料、香水、布地、洋服やのエキゾティズム、オリエント趣味に、さっそく魅了されたリッチな貴族階級のベネチア人が、それらの象徴として、豪華なターバン、衣装を身にまとわせた召使いを邸宅や別荘に置き、サロンに出入りする客人方をおもてなしする、という行為が、流行の先端、ステイタスになります。そしてこれまた流行に敏感なベネチアの金細工師達を、即座に宝飾品制作に駆り立て、豪華なターバンと衣装の黒人風のモルチッチ(当初ベネチアではモレットと呼ばれたようです)が、ブローチやイヤリング、ネックレス、指輪等に仕立てられ、瞬く間にサロンに出入りする上流階級の奥方達の間に広まります。

その庶民バージョンが、リエカの女性達にもてはやされるのに時間はかかりませんでした。さらにモルチッチは、クロアチア北部の諸都市、島々(クルク、パグ、ラブ、ツェレス島等々)にまで大流行いたします。また、イヤリングの右側一方だけをつけるという装い方が、(はじめはお母さんが大事な息子に、また海で活躍する水夫や漁師の恋人や奥方から渡されたのでしょう)男性達の間にも流行し、さらにベネチア由来の社会的ステイタスと経済パワーの象徴として、沿岸に住む人々のあいだに、“神人同形説”的な魔除けの肌守りとして、なくてはならない物になっていきます。(この間、呼び方は、モリ、モルチ、モルチェキ、等、島や地域によって少しずつ呼び方が変わり、ついに現在のモルチッチにまで変化します。)ちなみに、リエカとベネチアは車のルートで235キロ、国境でややこしい事がなければ!2時間50分足らずで走れる距離です。

これにはリエカを支配し海洋大国で経済流通先進国だった当時のベネチア、クロアチア第1の港町リエカ、そして2つのレジェンドが関係いたします。このつづきは、また後日!

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