2010年11月9日火曜日

モルチッチ3 最終編

さて、モルチッチのお話も、いよいよ最後になります。2つのレジェンドのお話です。





最初のレジェンドは16世紀にさかのぼります。

リエカの背後のグロブニック平原に当時東の脅威だったトルコが迫ってきます。掠奪と放たれる炎に、町中に恐怖が広がります。隣接する町々、セーニュの周辺からは、血なまぐさい戦いの報告があがってきます。男たちは、城壁の棟に集まり、力の限り戦いますが、どこからの援護もなく、女子供は棟のシェルターに身を寄せひたすら、天から石が降りそそぎ、この敵を埋めてしまい、我らの命をつなぎたまえと、神のご加護を祈るのみでした。 日が経って、ついに勇気あるズリンスキーの弓から、神の手に導かれた矢が、神殿に潜むトルコのパシャの頭を射抜きます! 戦闘のリーダーの死を知ったトルコ兵は、グロブニック平野の八方に散り散りになりますが、天はリエカの女性達の祈りに答え、石の雨を降らせ、トルコ兵を埋め尽くします。リエカの男たちは、彼らに勝利をもたらし、町と人々を救った神への祈りに深く感銘し、 この勝利の記念に、奥様方へ モルチッチのイヤリングを特注して贈ったのです。

もう一つのレジェンドはペリェサッツに伝わるお話です。

一人のイタリア人男爵夫人が、黒人の女の子の召使いを置きましたが、誠心誠意彼女の面倒をみたこの召使いに、自由な身分を与え、尽くしてくれた彼女の思い出に、彼女に似せてイヤリングを作らせたとな。


19世紀後半のリエカでは、有名なモルチッチ金細工師らと、彼らの素晴らしいクラフトマンシップにより、この様なジュエリー生産の一大拠点になり、リエカは” モロ(先のモルチッチの呼ばれ方)のリエカ”と呼ばれ、リエカ固有のジュエリーになっていくのです。そしてイヤリングから始まったモルチッチは、リング、ブローチ、ネックレス、ピンス等々に加工され、沿岸部を南下、ザダール、スプリット、ダルマチアの島々、内陸のボスニアへとその流行が波及し、モルチッチのデザインを極めた ジガンテ社 により、1879年のパリ万国博覧会に出展されます。またモレットジュエラーと呼ばれる、モルチッチ宝石商を多数排出します。


リエカ市民の真のアイデンティティーを探す時、劇作家ネデリコ ファブリオの ”命の礼拝” で紹介された通り、リエカはモルチッチによりよみがえる、との意味で、疑い様のないリエカのシンボルとされるのです。第二次世界大戦後、モルチッチの製作は一時停滞しますが、おばあちゃんから孫に伝えられたこのジュエリーは、戦後の若い世代から再び脚光を浴び、1991年、正式にリエカのマスコットとして迎えられ、リエカのメインストリートを華やかにする宝石商のウインドーを、再び飾る事になるのです。そして2月のカーニバルには、モルチッチに紛争した市民が、町の歩行者天国、コルゾ通りを歩きます。


リエカや、その北西の静かな高級保養地オパティアに行かれましたら、あるいはクロアチアの他の地域でも、宝石店のウインドーを覗いてみて下さい。今度はあなたにとって 市民権を持っったモルチッチが、きっと”あなたを守りますよ!”と語りかけてくれるのではないでしょうか?!以上モルチッチでした!

ところで、現地からこんなお話を伝えてくれているのが、リエカのすてきな友人タニヤちゃんです。読んで下さった皆様は、左上の写真に、なぜ?と思われた事でしょう。
タニヤちゃんのオフィスは、すごく可愛く、夢のあるおばあちゃま社長マリヤさんを中心に、すってきな仲間達が集っています。カーニバルの時に、はしゃいでとった写真が、なんとなんと、『マウス』付きの『コンピューター』の『画面』に、映し出されて!いるんです!

















ちなみに、このオフィスの他の写真も、公開しちゃいます。夢と、ユーモアのセンス一杯の、楽しいオフィス!こんな感じですから、みんなで協力しながら、不可能を可能にするむちゃむちゃ頼りがいのある仕事っぷり!いつもメールには“Have a GRATE day!"って書いてきますから、超ボジティブにならざるを得ないのです!























ではみなさん、Have a GRATE day!
また近いうちに!

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