2010年11月14日日曜日

ドブロブニクの巨大?帆船 続き

噴水の彫刻       ドブロブニク全景        

皆さん、こんにちは。ドブロブニク、つづきです。

右の写真を見て下さい。港の艀(はしけ)のところに、3っつのアーチがみえません?実はこれが帆船のドックだったのだそう。

現在ここは、ちょっと高級レストラン。装飾は船にちなんだものばかりで、船の骨組みにテーブルが組み込まれていたり、ドブロブニクならではの一人ではとても食べきれない、ボリューム満点の『ドブロブニク プレート』という、と〜っても新鮮な数種の魚、イカ、貝などのグリルの盛り合わせなどを出してくれます。

ここのテラスから、『ドブロブニク リビエラ』と言われる断崖に張り付く家々やのホテル、遠くの島や入り江に点々と灯る明かりと、旧港から渡る潮風を感じながら、これまた美味しいクロアチアワインのグラスを片手に、新鮮な海の幸をほおばる、の図は、雰囲気サイコー、至福のひととき!


話しが脱線しましたが、当時、帆船の建造は完全非公開で行なわれ、完成するまでブロックでおおわれた中で進められ、進水式ではじめて、そのブロックが壊されて、お披露目となったそうな。


他国には、まねしようとしても、まねの出来ない独自の技術だったそうで、出来たドブロブニクは、まさに地中海の覇者。大人気になった船には注文が殺到。十年は軽く待たなきゃ、ドブロブニク製の船は手に入らなかったと、なにしろ大繁盛だったそうな。

それが為に、ドブロブニクはと〜っても稼ぎました。そして、地中海にはドブロブニクの船しか浮かんでいない!と言わしめたそうな。

この帆船は、イタリアのラグーザで、『巨大商船』の意の言葉として、『ARGOSY (アルゴスィー)』という言葉が、ドブロブニク産の船をさして、生まれてしまうのです。そして初めて地中海を抜け、大西洋はイギリスの港に到着すると、後の海洋大国イギリスの人々も、
ヒャー
なんと大きな船なんだ!


しかも、超かっこいい!しかも断面が台形のこいつには、荷物をたっくさん積めるではないか!しかもしかも、それが為か、なんと安定の良い船や〜っ!と、口々に、巨大なふねじゃ〜、と叫んだそうな。以来、英語の言葉としても『ARGOSY (アルゴスィー)』が定着するのです!
古の衣装をまとうドブロブニクの若者

ウィキペディアからの抜粋を載せます。結構知られていません!16世紀におこった事です。
It is derived from the 16th century city Ragusa[3] (now Dubrovnik, in Croatia), a major shipping power of the day and entered the language through the Italian ragusea, meaning a Ragusan ship. それは16世紀の市ラグーザ[3](現在ドブロブニククロアチアの))に由来します、当時の大型輸送の原動力となって、イタリアのraguseaを通して言語に入りました、『Ragusanの船』を意味して、。

いかがですか?英語の辞書をひいてみてください。私も見つけましたよ。

で、16世紀をピークに、徐々に他の地域も、大型船の必要性に迫られ、開発が進み、一斉を風靡したドブロブニクの帆船の歴史が、徐々に終わりに近づいていきます。
  
ピレ門               階段の続く路地       

ドブロブニクでは、実は100年に一回くらいの頻度で、大地震が来ていました。また、大火も起き、船の建造技術の資料は失われます。木製の大型船を造る技術者もどんどん減り、ついに船は消えるのですが、焼け残ったいくつかの絵画の中に、この船を手にする聖人や、金銀の細工の施された宝物の中に、この船をかたどった物が残っており、近年観光用に再現されます。

ちなみに、半日チャーターで、40万くらいだったかしら?弟さんの結婚式では、この船を借り切って船上のパーティーをしたわ、なんて言うドブロブニク在住の知人の話し。海洋都市ドブロブニクの末裔の人々は、今も船と共に生きています!

次回はドブロブニクの貴金属工芸

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